| 世界とともに、低炭素社会への道に踏み出そう!
気候ネットワーク代表 浅岡 美恵
京都議定書の10年
1997年12月に京都議定書が誕生してから10年が経過し、その第1約束期間の開始年である2008年を迎えた。昨年、ノーベル平和賞を受賞したIPCC(気候変動政府間パネル)は1990年の第1次評価報告書で既に、気候を生態系に危険を及ぼさないレベルで安定化させるためには、今世紀半ばまでに世界の温室効果ガスの排出量を半減させなければならないことを警告していた。京都議定書は1990年の先進国の排出量を5%削減することを各国に割り振ったものであったから、ほんの小さな一歩に過ぎなかった。それでも、ブッシュ政権は2001年に京都議定書交渉から離脱し、日本やカナダなどは京都議定書を批准したものの、森林吸収源を目標達成に過大にカウントさせることで実質的に目標の再交渉をさせていた。2005年2月、京都議定書はようやく発効したのだったが、日本経団連などは今日に至るも、京都議定書は欠陥議定書と宣伝している。欠陥とする理由は、米国が離脱したこと、中国など途上国が削減義務を負っていないこと、基準年が1990年であるため、1970年代に省エネに取り組み、省エネ世界1である日本には不公平とするものである。いずれも、日本にとって、総量での削減目標は厳しすぎるということのようだ。
しかし、総量での削減目標でなく、効率目標によるとするなら、排出削減ではなく増加も容認することになる。一人当たり排出量で桁違いの先進国と途上国の実情に照らせば、まず先進国が先に削減することで合意された京都議定書の考え方は公平であっただろう。日本は決して乾いた雑巾ではなく削減の余地は十分にあり、そうした省エネに取り組むことこそ、長期的な日本経済の発展の原動力であるが、過去の成績をいうばかりでいると、現に世界で最もエネルギー効率のいい国とはいえなくなってしまっている。厳しい目標こそが、技術開発を促し、国際競争にも貢献することは、まさに70年代の自動車の排ガス規制の歴史が物語っている。
メディアは「ポスト京都議定書」との表現をよく使い、あたかも、2012年で京都議定書は当然に終了するかのように説明するが、これは間違いである。そもそも、京都議定書は2008年から2012年までを第1約束期間とし、その後も第2、第3約束期間と継続することを前提として採択された。その第2約束期間、即ち、2013年以降の先進国の目標についての交渉が、京都議定書のもとに特別作業部会(AWG)が設置されて交渉を開始していた。2007年12月にインドネシア・バリ島で開催された気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)と京都議定書第3回締約国会議(COPMOP3)で、米国と中国など主要途上国も含む次期目標を2009年末までに合意することとし、条約のもとにも特別作業部会が設置され、交渉を開始することとなった。同時に、京都議定書のもとでのAWGでは、さらに進めて、今後10〜15年の間に世界の排出のピークを迎え、2050年には2000年比で半減よりもはるかに大きな削減が必要であり、2020年には先進国全体で90年比25〜40%の削減が必要とのIPCCの警告が明記された。バリ会合での合意文書に数字が入らなかったとの報道が広く行われているが、政府の誤った広報によるものである。
深刻な温暖化の影響
これらの記載はIPCCが掲げる最も低いレベルでの安定化のために必要な数字として記載されているが、このような削減を実行しても、工業化の前から2.0〜2.8℃の気温上昇が起こると予測されているレベルであることを忘れてはならない。2000年で工業化の前から既に0.74℃上昇している。つまり、かなり大胆に削減を実行しても、相当の気温上昇はさけられないところまで来ている。100年に1℃の気温上昇は地理的に150km南に移動するに等しい。生態系の対応力や異常気象の増加などは2℃の気温上昇が危険ラインとされている。これに対し、ブッシュ政権や日本の経済界は4℃もの気温上昇を前提としており、世界のNGOは「4℃クラブ」と呼んでいる。
京都議定書採択の頃は、温暖化の脅威をそれほど実感していない人が少なくなかったのではないか。しかし、その後の10年で観測上「最も暑い年」の記録が次々と塗り替えられ、ハリケーンカトリーナのように深刻な被害をもたらした異常気象が世界各地で頻発するなど、「気候がおかしい」と誰もが気がつく程、温暖化の脅威が現実のものとなった。IPCCにノーベル平和賞が贈られたように、「気候安全保障」との言葉も生まれ、世界の政治のトップイシューの一つとしてG8の主要テーマになっている。米国とともに京都議定書を批准してこなかったオーストラリアのハワード政権からラッド政権に交代し、米国の議会が両院ともに民主党が多数を占めたのも、温暖化問題がその一因である。次期大統領候補者は党を問わず大規模排出事業所ごとに排出上限枠を設けた国内排出量取引を提案するなど、温暖化問題への積極政策を掲げている。昨年のバリでのCOP13はこうした背景のもとで、ブッシュ政権も含め、どの国も温暖化に取り組むとの流れが生まれていることを印象づけた。世界は科学の警告を受け止め、低炭素社会に向けて動き出したといえるだろう。
バリ会議でのドラマと取り残される日本
こうした世界の明確な動きに大きく遅れをとっているのが日本である。日本経団連を中心に産業界は効率目標による自主的取組の構図を継続させることを至上命題としてきた。事業所別の排出にキャップをかぶせることはもとより、このようなC&T型排出量取引につながる国別総量削減目標の設定を拒み、日本の温暖化政策を束縛し、次期枠組み交渉においても「京都議定書キラー」と目されてきた。京都議定書の精神を尊重しない日本に世界から疑問の声があがり、NGOは「化石賞」を与えてきた。
バリ会議の最終日に、日本の将来を示唆する二つの大きなドラマがあった。主役は米国ブッシュ政権とオーストラリアラッド政権、脇役は日本である。ブッシュ政権は、最終日の未明に経団連自主行動計画さながらの提案を出して交渉を混乱させた揚げ句、最後の場面で途上国にも先進国と同じ責任条項を求め、途上国から厳しい批判を受けた。日本はアメリカを交渉の場からウオークアウトさせないためには米国の主張を容れるべきとの態度だったが、世界からの批判の前に、あっさりとそれまでの主張を撤回した。この米国の反応に、一瞬、会議場は時間が止まったようだったが、次いで、米国代表団に大きな拍手が送られた。日本がブッシュ政権に取り残された瞬間だった。
もう一つのドラマは、先進国の2020年の目標の方向をめぐってである。これまで、米国とともに京都議定書の抵抗勢力となってきたオーストラリアは、バリではこれまでと全く異なるオーストラリアであり、バリ会合の牽引役を担った。最終場面でも、カナダ、ロシアとともにIPCCが掲げる3つの数字を盛り込んだ合意を支持し、先進国の目標に明確な方向性が盛り込まれた。
残念なことに、日本だけは終始、沈黙したままだった。その場では反対もしなかったが、国内向け政府広報は京都議定書のもとでのAWGの合意について一言も言及せず、帰国するや日本は賛同していないとの態度すらとった。経団連や経済産業省が反対し続けているからである。福田首相は1月のダボス会議で、経団連の主張に引きずられたセクター別効率目標の積み上げによる総量目標という奇妙な提案をした。これでは、G8サミットでの合意も得られないだろう。すべての癌は国内にある。2012年までの6%削減目標達成計画の見直し作業は、経団連自主行動計画の継続を最大命題とする経済界の主張を容れて、結局、新しい政策はほとんど導入されていない。自主的取組と京都メカニズムのクレジットを海外から購入してともかく第1約束期間の目標は達成するとするものだが、長期的に低炭素社会に向かうための新たな社会づくりの視点が欠けている。世界が低炭素社会に動き出した今、日本の進路も舵を切るべき時である。2009年にかけて、国内、国際交渉が国内政治の重要課題となっていくだろう。
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