ニュースレター 第45号 (2007年2月発行)

宇井純さんの遺志を引き継いで

国民会議 常任幹事 藤原 寿和

 昨年11月11日、宇井純さんが亡くなられました。私にとって人生の歩むべき道(航路)を大きく変えるきっかけを与えて下さった3人のうちのお一人でした。いずれも故人になってしまわれましたが、お一人は田尻宗昭さん(1990年逝去、享年62歳)、もうお一方は高木仁三郎さん(2000年逝去、享年62歳)でした。
 この3人のうち最初に出会った方が宇井純さんでした。正確な年月日は忘れましたが、宇井純さんが当時助手をしておられた東京大学の構内で開講された公開自主講座「公害原論」を聴講するようになってからのことで、その当時(1970年)私は早稲田大学応用化学科を卒業し、ケミカルエンジニアリングになることをめざして修士課程に進みながら、熊本水俣病事件に引き続いて新潟水俣病という公害を生み出してきた生産工学の道に進むことに疑問を抱きはじめておりました。そうした折、東京大学工学部で「東京・水俣病を告発する会」の設立集会が開かれることを知り、この集会に参加したことがきっかけで水俣病の告発運動に関わるようになりました。
 「公害原論」では、毎回各地の公害現場で闘っている住民や被害者の方からの話とそれに対する宇井純さんの解説がありましたが、その話の中で、宇井純さんから科学技術が人間を幸福にするのではなく、イタイイタイ病や水俣病のような公害被害者を生み出してきたこと、企業内技術者も大学内学者・研究者も公害企業や被害者を切り捨てる行政側の犯罪に加担してきたこと、そして公害に第三者という立場はない、被害者の側に立つかあるいは加害者の側に立つかどちらかだとの強烈な話に打ちのめされ、このことがきっかけで化学系企業への就職の道を振り切り、修士課程も中途で退学し、そして中部電力浜岡子力発電所の反対運動に身を投じることになりました。
 それ以来、宇井純さんとは私が関わってきた千葉県市川市沖合の東京湾三番瀬埋立問題や江戸川左岸流域下水道終末処理場建設問題、カネミ油症被害者支援運動、水俣産廃処分場建設問題などの取り組みを通じて相談に乗っていただいたり講師を引き受けて下さったりのお付き合いをさせていただきました。まだまだこれからというときに不意に逝ってしまわれました。今、当時自主講座実行委員会に関わってこられた方や東京・水俣病を告発する会の方、そして日本環境会議の方々と「宇井純さんを偲ぶ会」を6月に催すため準備に取りかっているところです。どこまで宇井純さんの遺志を継げるかわかりませんが、反公害・反権力の意志はこれからも堅持していきたいと思います。
 宇井純さん、どうぞ安らかにお眠り下さい。

 

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