追 悼 宇 井 純さん
1998年の国民会議発足にあたり、国民会議の趣旨に賛同して発起人になって下さいました宇井純先生が、昨年11月11日にお亡くなりになりました。74才でした。
宇井先生は、新潟水俣病訴訟において原告弁護団の補佐人を務められ、東京大学工学部都市工学科の助手時代に、有名な「公害の政治学―水俣病を追って ―」(1972:三省堂)を著して、水俣病など公害の原因企業を厳しく糾弾してこられました。1986年に、沖縄大学教授に就任され、新石垣空港建設反対運動などに参加されました。2003年には沖縄大学名誉教授の称号を授与されていらっしゃいます。
1970年にフィンランド自然保護協会特別大賞(水銀汚染の危険の警告について)、1972年毎日出版文化賞(公害原論講義録の出版に関して)、1990年にSMON奨励賞、1991年に国連環境計画GLOBAL 500賞など数々の賞を受賞されています(受賞歴は、沖縄大学ホームページより)。
私たちは、心から宇井先生のご冥福をお祈りすると共に、発足を応援して下さった宇井先生のお心に違わぬような活動を続けていきたいと思います。
宇井さんの闘いをどう引き継ぐか
国民会議 代表 立川 涼
宇井さんの研究者としての出発点は下水の生物処理であった。沖縄に行っても豚舎の廃水処理をぼやきながらも楽しんでいた。宇井さんの方法は、野上弥生子の生家であるフンドーキンの処理池のように大きいものはまれで、ほとんどは小さく手作りのおもむきである。巨大で高度な設備や制御系には批判的であった。もともと生物処理は、工場のように定常的連続運転がむつかしい。自然や生物を相手に、おだやかな水面の下で展開されている複雑で動的な生物の世界を見る目がいる。庭いじりに似ていなくもない。苦労と楽しさが同居している。宇井さんの激しい闘いを支えてきた一端は、このあたりにあったような気がしてならない。
彼の代表的著作『公害の政治学』(三省堂新書,1972)には、「公害には第三者はいない……国民全体が潜在的な当事者である。第三者を名乗るものは必ずといってもよいほど加害者の代弁をして来た」と書かれている。公害・汚染の解決の道は、住民の時として悲鳴に近い叫びから始まっている。政治や企業が先行して対策を実現した例は少ないであろう。今日では環境問題は複雑かつ長期的な課題がふえ、闘うべき対象が見えない、わかりにくくなっている。宇井さんの闘いを私どもはどう引き継いでいけばよいのであろうか。
科学技術の進展とその水準が一国の命運を左右する時代である。国は膨大な税金を科学技術分野に投入し、その高度化と展開は速い。科学技術は国民からは次第に遠い存在となり、専門家集団にその将来が託される。『公害の政治学』には、「住民が住みよい日本を目ざして運動するならば、それにふさわしい科学的な理論を自分の手で築き上げなければならない」とある。科学を住民の福祉のために発展させるには、私どもは『住民のための科学の政治学』を構想し、実現することが求められている。
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