ニュースレター 第43号 (2006年11月発行)
連載第3回:【環境ホルモン研究の最先端】
環境ホルモン問題の現状と課題

愛媛大学農学部教授・国立環境研究所特別客員研究員 森田 昌敏

環境中の化学物質問題とその対策のトレンド
 環境ホルモン問題と重ね合わせながら記すと以下のようなことがあげられる。
 1950年代〜1970年には、重工業の発展と経済の高度成長と共に公害が顕在化。水俣病では、胎児性水俣病が発生し、母親よりも胎児の方が毒物に弱いことが示された。神経症状を含む各種の障害が残っている。
 森永ヒ素ミルク、カネミ油症等の食品汚染も発生。森永ヒ素ミルクは、乳児の中毒であり、180人余りの死亡の他、軽い暴露者に発達障害がみられている。またカミネ油症は、ブラックベビーの誕生の他、次世代影響が強く残っている。
 1970年〜1980年代には、公害の激化と紛争の拡大に対応して、現在の環境諸法律の原型がこのとき整備されている。1980年代に入り、産業公害問題は沈静化。潜在影響として化学発ガンが議題となる。発ガン物質への研究が進み、リスク評価手法が準備され始めた。
 1990年代〜2000年代は、発ガン物質の物質規制が進み始める。一方でダイオキシン問題がブレークし、内分泌撹乱物質も課題となる。以上のようなトレンドをみると現世代への影響(中毒、発ガン)から次世代影響(生殖、知能、免疫など)がより重要となってきていることは明らかであろう。

内分泌かく乱化学物質問題の浮上と展開
 “Our stolen Future”(和訳:『奪われし未来』)及びその後のメディアの“環境ホルモン問題”の高揚した取り上げにより、環境ホルモンは一気に社会事象となった。一方、WHO(世界保健機構)はGlobal Assessmentの中で科学現状の分析を試みている。2002年に現在の科学における内分泌かく乱の地球的評価(Global Assessment of the State-of-the-Science of Environmental Disrupters)を公表しており、その時点で、危惧される影響に対して科学的知見が十分にあるケースや科学的知見が不十分なケースを分離し、整理することを試みている。この中で、例えば有機スズによる巻貝のオス化は、最も証拠が揃った例として述べられおり、また一方でDDTによる乳がんの発生増は証拠の不十分なケースとされている。
 2004年には日本で、WHOとのJoint Workshopが開催され、続編がWHOのホームページから入手可能である。

一例として環境ホルモンと生殖系への影響についての研究現状
@精子数減少を始めとする精巣機能低下を示す、多数の論文が存在している。が、どの現象が真実であり、どの程度の減少が妊よう率に影響するかは、現時点では結論できないとされる。
  例えば、欧米での22報の研究報告のうち8報が減少、5報が増加、日本での研究例では、精子数減少を示す論文が存在する一方で増加を示す発表もある。一方、環境ホルモンのような化学物質が精巣機能不全を引き起こすことがあることも一つの真実である。例えば、農薬クロルデコン、DBCP、ブロモプロバン、PCB等は職業暴露により人の精子数の減少数や無精子症を引き起こしている。
A生殖器ガンは近年著しく増加してきている。女性生殖器ガン(乳ガン、子宮体ガン、卵巣ガン)及び男性生殖器ガン(前立腺ガン、精巣ガン)のいずれも急速に増加してきている。原因の一つとして環境ホルモンが疑われるが、明確な証明は得られていない。乳ガンとDDE及びPCBについて関連の可能性が指摘されたものの、全体的な判断としてはやや否定的である。
B性比の変化(男性が少なくなる)は、カナダ、米国、オランダ、デンマーク、スウェーデン、独、ノルウェー、フィンランド、ラテンアメリカ諸国で報告された。逆に男性の増加傾向がイタリア、ギリシャ、オランダで報告されている。
  環境ホルモンとの関係が示されているケースとしてイタリアのセベソでのダイオキシン汚染がある。汚染直後に男性の比率が低下し、その後回復が観察されている。一般人口集団でのこのような傾向がどのような意味を持つか、環境ホルモンとの関係を明らかにすることは容易ではない。
C尿道下裂及び停留精巣は近年少しずつ増加してきている。女性ホルモン様物質(あるいは抗アンドロゲン作用物質)により引き起こされる可能性があるものと推定されるが、その関連性に関する研究の蓄積は乏しいのが現状である。

 以上のように人の健康の悪影響として、疫学的にコンセンサスに到達するには大きな困難がある。新たなバイオマーカーの開発のような新しいアプローチも必要となろう。また、複合影響をどう捉えるかのような暴露量評価の新しい手法も必要である。
 環境ホルモン問題は、生殖の問題として社会的にブレークした感があるが、現在ではより広い作用点からの評価が求められている。この中には脳神経系の発達の遅れ、免疫系の異常があり、また最近の話題では、肥満や糖尿病との係わりである。例えばダイオキシン汚染と糖尿病との係わりについて疫学的な研究発表がDioxin2006でなされた。生活習慣病と言われる現代病が、化学物質のホルモン作用と係わりがあるとすれば、興味深い研究であると言える。
 内分泌かく乱物質については、各国とも、研究開発を中心として対応しており規制のような形での踏み込みにはなっていない状況にある。環境ホルモン問題の出発点となったPOPs(残留性有機汚染物質)については、これが国際条約として発効したこともあり、確実に対策が進められている。各国において発生量、環境汚染レベルについての情報の収集が進められており、次いでその発生予防や消滅が図られる方向にある。

内分泌かく乱物質のリスク評価と予防原則
 環境ホルモン問題として提起された課題は、もしそれが事実であるとすれば極めて重要な内容である。が、化学物質との因果関係は十分な証拠が蓄積しているとは言えないケースが少なくない。微量の内分泌かく乱物質により、遺伝子の発現が認められるが、生体というシステムにおいてそれがどのような悪影響と結びつくのか、まだわからない。必ずしも十分でない科学的知見を基礎として、悪影響の未然防止に向けて対策を設計することが出来るであろうか。
 そして予防原則は、どの程度の証拠があれば、発動が可能なのであろうか。またこのことは、私達の社会を動かしている経済活動とも関連してくる。化学品を生産・販売している化学業界があり、その立場からは“根拠のない”環境ホルモン呼ばわりは営業妨害に映るかも知れない。
 その一方で、警告型の研究の発展とその自由な発表なしには、国民の健康と野生生物の環境は十分に守りきれない。好ましいのは、より安全な化学品に向けて、生産者と消費者が連携して製品開発や用途開発を行なうことであろう。簡単には進まないかも知れないが。
 当面のアプローチは、科学的知見の拡充とリスク概念の共有化であるかも知れない。この点で、発ガン物質対策に学ぶことは多い。環境ホルモン問題は問題提起からほぼ10年経つが、政策の中に取り込まれるには更に10年を要しよう。
 簡易な試験法やそれを用いたデータの蓄積は進みつつある。定量的なリスク評価の手法の確立が急がれる。

 

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